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finance 金融理論

金融理論、お金にまつわるお話

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金銭感覚 「借金してまで浪費などしない」と思っていても

自分は借金してまで浪費などしない」と、なにか明確な理由があるならまだしも、「考えたことはないが、あまりよくなさそう」くらいの感覚だと、周りからの影響で自分もそのような人間になってしまうことがあります。 油断していると、金銭感覚は周りの人から少しずつ影響されてしまいます。家族や友人の中にギャンブルなどをする人がおらず、自分はギャンブルをしないとしても、勤め先の人たちがみんなするような人なら、自分もその方向に走ってしまう可能性は大いにあります。 自分を過信している人ほど危ないでしょう。 「借金してまで浪費などしない」と思っていても、金銭感覚は周りの人から影響されてしまいます。お金を借り続ける人になってしまいます。 金銭感覚のみならず、ただ生きているだけで誰かに影響を与えています。また、通りすがりの人であっても少なからず自分に影響を与えています。
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浪費と消費 感情のための消費は全て浪費

浪費と消費、似て非なるこの言葉たちは、無駄遣いと生き金、というわかりやすい尺度がありますが、一般的な消費ですら厳密にはほとんど浪費です。浪費は金銭・時間・精力などをむだに使うこと。むだづかいです。
浪費をもっと突き詰めると、感情のための消費は全て浪費になります。一般的には、感情の暴走によって冷静な判断力を失った状態でした消費のような捉えられ方をしますが、「それでストレスが吹っ飛ぶなら別にいいだろう」というものです。
それの消費は浪費とイコールであり、ストレスが吹っ飛ぶならという理由としては同じだったり、尺度の違いは金額や量の過多くらいなものです。根本的には変わりません。 浪費家はモノを無駄に消費するだけでなく、「注文」することで何かの力を誇示したような錯覚を得ています。

浪費家、借金体質の人

買い物の時、「本当に必要なもの、欲しいもの」を突き詰めると、たいてい何も買わずに帰ることになります。
「まあ、あった方がいいだろう」 というレベルのものすら買わないということを徹底すると、おそらく何も買わずに帰ることになります。 しかし浪費家、借金体質の人は、まさに「問答無用」で買います。なぜなら「100円だからいいだろう」という思想を持っているからです。
厳密に言えば消費行動は浪費だらけです。

何のための利潤追求か

「お金があるから偉そうにしていいんだ」 は、「お金がなくなった時には偉そうにしてはいけない」という恐怖心の裏返しであり、何としてでも今の資産を維持しようと、また、もっとお金を持とうと執着が生まれます。 その執着は苦しさでしかありません。 マックス・ウェーバーが、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で述べていますが、利潤追求において肝心なのは得た利潤の使い道と、使い道への動機です。 資本主義に欠陥があっても包丁をどう使うか、というような問題で、「土地持ちだ資産家だ」で偉そうにしたり、「支配者だ被支配者だ」とするということは、包丁を凶器に使うようなことです。 ブラック企業はその典型例であり、親が遺した不動産収入で遊びに行くことしか考えられない、という場合も同じことです。誰に対しての凶器かというと、もちろん労働者に対して、という点もありますが、一番の矛先は自らの心です。 資本主義の使い方 何のための利潤追求か

お金を借りにくる人には特徴があります

お金を借りにくる人には特徴があります。 無計画、浪費、あまりよく考えない、情報弱者というような特徴です。おおむねこのような特徴があります。 最低賃金レベルの水準でも、確実にお金は貯まります。貯まらない方がおかしいのです。そういう人は小銭を粗末に扱ったり、たくさんの食事を残して廃棄したり、クーラーをつけっぱなしで外出したりします。 そんなこんなで積もり積もった無駄金が知らぬ間に巨大な額になっています。 一日に数百円の無駄でも10年、20年となれば巨額になります。その上今でこそあてになりませんが、積立預貯金でもしていれば、その金利分も余裕が出来るのに、変に借りれば利息の分まで資金は減っていきます。
いわゆるその日暮らしの人ですね。稼ぐ力がないことよりも、こちらのほうが問題です。 計画的に生きろというわけではありませんが、お金を借りる人は常にその場が収まれば、そんなことをすぐに忘れます。 お金を借りにくる人には特徴があります

        
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